恵信尼と親鸞山号お盆? 先祖供養 | 懸魚| 空と0?




  







左の絵は、菅原高臣(満3才)

                                 
 浄土真宗高田派の寺院の生まれの永六輔氏が、以前ラジオ番組で、一年の始めは、1月1日0時0分0秒からで、何で0月0日の0時0分0秒からではないのか?。そんな事を話されていた記憶があります。詳しい放送内容は、忘れてしまいました。

 名古屋駅前にも、又新しい高層ビルが建つそうです。こうしたビル1階から、一階上ると、その階は、2階になります。1階から、一階下りると、今度はそこは、デパ地下と言われるように、地下1階になります。
 地上と、地下の階数の数え方の基準がどう考えても異なつている気がします。では、お雛様の飾りは、五段飾りとか七段飾りと言います。お雛様の諸道具を置く場所(段)は、一番下段です。この段は、一段目と言います。
 日本人は、物の数を数える時に最初が0から数える場合と、最初を1から数える場合を、無意識に巧みに使い分けている様です。

 前述した、ビルの階数の数え方では、地上の階は、1から数えて一階上がれば、2階になります。 地下の場合には、0から数えた場合には一階下りれば、地下1階と数えます。
 外国映画などでは、日本で言うビルの1階が、グランドで(日本で言う)2階が、1階と表示されているエレベーターの画面が映る場合があります。この場合は、地上階も0から、数える事になっている。

 少し前までは、年齢の数え方も満年齢と、数え歳の数え方がありました。かっては、正月が来るたびに、歳を取る数え方が、一般的であった。
 つまり正月が来れば、年玉を、大人も、子供も一つずつ頂く事であったと言われている。そしてその年玉は、同時に又魂の意味でもあったので、たとえ、生まれたての赤ん坊にも、魂の無い赤ん坊はいないので、だれでも、生まれた時は、一歳なのである。現在は、ほとんど満年齢で数えるので、その人の誕生日が来れば、一つの年玉(歳)を加える。時間の長さで年齢を計算する方法が、一般的になってしまった。でも仏事の数え方や、享年の数え方は、まだ数え年の数え方をしているのは、日本人の繊細な民俗の心の現われだと思うのである。
 この物の数え方の0の数字は、今から二千年ほど前に、インドで発見された数字(概念)と言われています。そして、その頃つまりお釈迦さん亡くなってから四〜五百年後に、大乗仏教と言われる仏教が、おこった事と無関係ではないのです。このゼロを意味する言葉は、インドの古語サンスクリット語のシューニアです。このサンスクリット語のシューニアと言う語彙が、中国に、仏典と共に伝播された時に、中国ではまだ0つまりシューニアと言う概念が無かった為、それを空と中国語(漢字)に翻訳し。【空】と言う思想哲学が、流布したと言われている。【空】とは何かと問われても、小生には、それに答える能力も知識も残念ながら持ち合わせていないので、関連書籍を参考に、少し説明してみたい。

 大乗仏教運動というのは、お釈迦様が説いた 「縁起」 という言葉を 「空」 と表現していこうとしたのが最初の運動です、それがお経として表されたのが『般若心経』などの般若経系統の経典です。
 この系統が、西暦一世紀ごろに『大般若経』の形でまとまっています。
 この般若経の変形が『維摩経』 になり、『華厳経』もその流れにあるもので「無限の縁起」としての宇宙を表し、無限の仏のいのちであるという意味で、大仏さんは奈良の大仏のように大きくなければいけないのです。
 『法華経』は仏のいのち、真実といういのちを我々は生きている真実のいのちの中にいるのだと教えています『勝鬘経』『涅槃経』などは 「如来蔵」 といって、みんな 「仏性」 というのを持っておりだれでも仏になることができるという主張です。簡単に言えば、そういう事だと言われています。

 こうした大乗仏教の理論の一つとして一切のものは本質をもたない、「すべては空である」との思想を完成させたのが真宗で言う七高僧の一人の龍樹(ナーガールジュナ)と言われています。

 仏教はインドを中心にアジア各地に広がりますが、中国へは、一説によれば、紀元六十七年後漢の明帝の時代に、ガンダーラから、パミール高原を経て、中国西部に伝播したと言われています。当時の中国の人々の心を、つかんでいた、道教・儒教的な考え方と融合して、『孝経』と言われる、偽経も作成されました。同時に、漢字に代表される中国独自の文化と融合して、仏典の漢訳がなされて、多くの『漢訳仏典』の成立をみるのである。

 特に五世紀に鳩摩羅什が出るに及んで、彼の卓越した仏教に対する造詣と語学力を持って、多くの漢訳経典が流布する様になり、隋による中国の統一がなされる頃になって、漢訳経典の研究や、解説書・注釈書などの研究もなされる様になり、中国での仏教がそれぞれの根本(重要)と考える経典を中心にした、僧侶の集団が成立したのである。そうした集団の中に唐代はじめ善導(七高僧第五祖) 六一三年〜六八一年(日本は飛鳥時代、大化改新があった頃)が、曇鸞(四七六〜五四二?)のはじめた、浄土宗を人々にすすめ民衆救済に勤めた。
 善導は『観無量寿経』(観経)についての解釈を記述した、『観経疏』(かんぎょうしょ)は、日本の法然上人に、絶大な影響を与え、やがて法然門下の親鸞などの日本浄土教へと展開していくのである。

 『無量寿経』や『阿弥陀経』は 簡単に言えば、阿弥陀様という光の姿であり、寿命の姿で。仏様の真実は永遠である。それで一切を包んでいるという形で表現したものです。その仏との出会いの関係を主張し、その包まれている中で一人一人の凡夫がどうやって真実に目覚め、真実に気づいていくのか、ということを説いているのである。

 つまり、0という数の起源にはインドの宗教的側面と同時に、インド哲学が反映されています。インドで0を意味する言葉は、先述したように、サンスクリット語のシューニアです。シューニアとは文字通りに何も無いという意味。そのインドの言葉が、中国語では「空」と翻訳され、大乗仏教の一つの根本をなす「縁起」にもとずく、空の思想が生み出され、その空と言う教えの象徴として、阿弥陀様があると言う事を、理解していただきたかったのです。

 我が自坊の近所に国際センターがあり、ビンディーと称される点を額に付けているインドの女性に時折出会います。このビンディーは、「空」を象徴的に表すものとされています。ビンディー、即ち「点」は「穴」へと変化し、そしてこの「穴」は、一種の世界観を表すものとなり、例えば、その一つが人間は全て、この「穴」の中にいるという考えです。「救い」とは、「穴」から抜け出ることだと考えられた名残だそうです。

 0が無くては、1 - 1 さえ計算できません。インドの宗教と哲学から誕生した0という画期的な数字は、数の世界に全く新しい道を開きました。
 0は、数の大きさを表すと同時に、位取りの空位を表す記号としての役割もしています。インドでは「位取り記数法」(「インド記数法」)が十五・六世紀ごろに生まれました。これは、私たちが今使っている1,2,3,…という数字を使って数を書き記す方法です。「位取り記数法」が生まれる前は、ヨーロッパでは「ローマ記数法」というものが使われていました。この表示方法では大きな数字を表そうとすると、大変長くなり、読みづらく、これに比べ「位取り記数法」では0から9までの十個の数字を並べるだけでどんな大きい数でも表せる為、大変便利な方法であると言われている。「ローマ記数法」では、紙の上で計算できないのだが、「インド記数法」の便利な点は数字を紙に書いて、紙の上で計算できるという点でもあった。 
            
                       前に戻    【浄信寺通信】平成15年夏号より転載