今後の日本の社会は、核家族化、少子化が進行すると言われています。総務省が発表した昨年秋の国勢調査によれば、25〜29歳では、男性の69.3%、女性の54.0%が未婚で、30〜34歳でも、男性の42.9%、女性の26.6%が未婚という結果が出ており、今後は、日本人の家族・家庭・個人などのライフスタイルが激変すると言われている。跡継ぎに恵まれずご自身のお墓をお守りする事を期待出来ない方が増加すると言われています。そこで、そのような方の為に、当寺が永代墓をご提供するだけでなく、真心を込めて永代供養をさせて頂きます.。
浄信寺永代供養墓は、跡継ぎの人が無いために将来お墓をお守りすることの出来ない、いわゆる絶家の恐れのある方々の為に、当浄信寺が皆様方にかわって永久に供養や管理を行なう独自の形式の墓碑です。
永代供養墓とは、寺がお施主に代わって、管理とご供養(回向)を申しあげるお墓のことを言います。一般の永代墓は、一定期間は個別の墓碑に納骨をおこない、その後は合祀の形をもって、寺院が存続する限り半永久的に祭祀を続けるのが基本ですが、宗教法人浄信寺永代久遠(供養)墓は、こうした合祀(ごうし)の形式ではありません。
(本山・別院などに納骨の場合には、合祀(ごうし)形式で、後日に、各(家)個々にには、線香やお花を持参しての墓参や、供養(廻向)はできません。ちなみに名古屋別院の預骨上納金は、12万円以上です。
又一般に公・私営墓園では、法律や墓地規則において、祭祀の責任を持つべき方(跡継ぎ)がなくなって、3年〜5年くらい経過すると、無縁墓として墓地から墓石を撤去され、無縁塚等に合祀され、そのお宅のお墓は消滅するというのが一般的です。そのため直系の後継者のおられないお宅や、娘さんのみで他家に嫁がれた場合などには、いづれはその家(宅)の墓は無縁墓となってしまう事例が多いです。 |
そのような状況にならない解決策として、一人の人間がこの世に生きた証(あかし)としての永代供養墓をお薦めいたします。 残された人には、亡くなられた人の面影(おもかげ)を偲びながら、日本の公園墓地として有名な交通便利な名古屋市内の平和公園内の見晴らしのいい場所にある浄信寺墓地の青空のもと、線香と故人が好きだった花束を手向(たむ)け供養する事を通じて自らの命と、この世に生きる喜びを、亡くなられた方は、同じ時代に生きた多くの人々と一緒に、あの世(浄土)で、この世を眺める事が出来れば、随分楽しい事ではないでしょうか。自分さえ良ければいい。あるいは自分が生きているの時代(世)だけさえ良ければいいのでしょうか?。生とし生ける者と、亡くなられて仏(ホトケ)になられた方々と共に生きている。その意味を改めて考えてみませんか?
現代の仏教は、教化や信仰が、単なる経典や、教理の解説と説明と解釈を学習する事が、それが宗教(信仰)でしょうか?。「いのちの大切さ」とか「ねがい」とか、仏教者は、色々な機会で発言されています。教義の一説を、譬(たとえ)話しの事例で、引合に出して、仕立て話しにしても、それは生きた僧侶の言葉として、相手には、伝わらないのでは、こうした話し(教化)を、仏教の方便として聞き慣れている人には理解出来るかも知れないが、大部分の日本人には、僧侶のお説教が、現実離れした単なる【死】の概念や観念を語っているに過ぎないと、軽蔑の眼差しで見ている事に、残念ながら、僧侶は気がついていない。また宗祖の年忌法要を
『ダシ』 にして、懇志や募財集めを、檀信徒に無言の強要する事が、宗教ではないのでは、宗祖の遺徳を敬う事は言うに及ばず、少なからず関わりも持つた、今は亡き方々の追善供養を、残された人たちは、粗末にしてないでしょうか?。現代人は、何か人間として生まれた大切な心を、どこかに置き忘れているような気がしてませんか?。永代墓をご縁にして、亡き人を弔い・供養してみませんか?。 |